神のみ実在する
――五井先生かく説き給う
髙橋英雄 著
定価 1815円(本体1650円+税10%)
B6判 並製
ISBN 978-4-89214-215-4
この世の存在は、みなある時間存在して消えてゆく。肉体も、地球も、星々も。神の大光明以外のものは、みな現われては消えてゆくのである。だから神以外のものは、この世界に存在しない。ひとりの直弟子が克明に記録した救いの人、五井昌久の真理のことば。
内容紹介
自分と自分ではない自分
五井先生の教えの特長は“自分を赦し、自分を愛し”と教義にもありますように、自分をまず第一番に打ち出していることです。 普通は人を赦し人を愛し、自分はあとまわし、ということになりますが、先生はその逆でした。
何故かというと、自分というものが実は、自分にとっては勿論、人類にとっても最も大事な、一番貴い存在であるからです。 そういう自分というものを根底にして、すべての生き方 を考え、そして行じなければ、他の人のことを真実に考え、思いやることは出来ない、と五井先生は思っていたからです。
その一番大事な、 一番貴い存在である自分自身とは何かというと、神でもあり、神の分霊(わけみたま)であるのだとハッキリ真の自分を定義しています。
私たちは、この教えを聞くまでは、想いの糸が何重にもこんがらがってくると、ますますもつれてどうしようもない自分を嘆いておりました。
糸がもつれてもつれて、迷いの解決のつかない自分を自分だと思っていました。そしてその自分をなんとか処理しよう、ともがいていました。しかし解決がつきませんでした。
それを五井先生はスパッと二つに割って、掌の上にのせるように見せてくれました。
今まで自分だ自分だ、と思っていたのは、実は自分ではなく、 想いにすぎない、それも過去世から今日にまでつづいている想いの癖にすぎない、と今までの想い違いを指摘されたのです。
その想いの癖はつまり迷いの波動は、迷いの想念或いは迷いの行為という形に現われたら、 みな消えてゆくものなのだ、と明らかにされたのです。
想いというもの、因縁というものは肉体にくっついて、離れないものだと考えていたのは間違っていたのです。・・・
「第五章 本心と業想念を区別する」より
(目次)
序 文
第一章 私はハッキリと知った
第二章 世界唯一の霊光写真
第三章 柏手とお浄め
第四章 平和論と平和運動
第五章 本心と業想念を区別する
第六章 守護の神と法則の神
第七章 二つの永遠の生命観
第八章 消えてゆく姿で世界平和の祈り
第九章 悟りということ
第十章 霊覚と霊能と祈り
第十一章 宗教は「空」より出づる
第十二章 地球自然界での人間の力と位置
第十三章 世界平和の祈りを祈る地球人と
守護の神霊団体と宇宙天使群との
三者一体による平和実現
あとがき
序文より
五井先生はご自分の体験から、自己の本体、 真我とは、神我であり、自由自在なる本心であり、自己の内奥にひろがる無限なる世界の極致の一点から発する光であることを、ハッキリと知ったのである。
これから先生がハッキリと覚知されて説きはじめられたことの種々と、人生の働きについて書き綴ってゆきたい。
人間は今の現象に起っている様々な事柄の原因を、みな本当は知っている。 知っているからこそ、今この人生においていろいろな人に出会い、現象、事件にあい、経験を重ねている のである。 過去世の人生の軌道修正をしているのだ。
何を学び、何をするのがよいのか、魂は知っていて、人生を経験している。
自分は神の分霊(わけみたま)であり、神そのものであることを知っているのだが、それをハッキリと今 の自分が自覚し、悟るまでに至っていないだけだ。
自分が神であること、光であること、永遠のいのちであることを学び、ハッキリ自覚した時、すべての記憶はよみがえって、それが神智(しんち)となり叡智(えいち)となり、人に対しては愛となり、 癒しとなり、 光となって人々を導くことになる。
今、それを私たちは納得しようとしている。
真実、知っていることを、すべてのすべてを知っていることを、統一を通し、祈りを通し て、己れの中に思い出すことをしているのだ。
ハッキリと自分を思い出した時、すべては明らかになる。
著者紹介
高橋英雄 (たかはし ひでお)
高校生の時、肺結核を発病。それが機縁で五井昌久先生に帰依。1954年、白光誌創刊。以来、白光真宏会の編集・出版に従事、編集長、出版局長、副理事長を歴任し、1999年退任。