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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 老子講義

第六講、上善は水の若(ごと)し・・・道徳経第八章
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漢文‥‥省略
(読み方)
上善は水の若 (ごと)し。水は善く万物を利して争わず。衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。居は善く地。心は善く淵(えん)。与うるは善く仁(じん)。言(げん)は善く信。政(せい)は善く治(ち)。事は善く能。動くは善く時。夫(そ)れ惟(ただ)争わず。故に尤(とがめ)無し。

上善は水の若 (ごと)し。水は善く万物を利して争わず。衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。

上善というのは、最上の善ということであります。その最上の姿は水の姿である、というのです。どうして水の姿が最上の善の姿かというと、水は善く万物の為になって、そして何ものとも争わないからである、というのです。
水が万物を利しているということは、一寸考えても判ります。この世の生物で水のおかげを蒙(こうむ)らないで生きていられるものはありません。生きるという根本的なことがそうであると共に、あらゆる機会に水は人をはじめ万物を利しているのです。
そのように万物を利しているばかりでなく、何ものとも争うことがないのでありまして、四角い器には四角く、丸い器には丸い姿となって、その場その場にすっかり和しているのであります。
しかも水は、常に高いところに止まっていることはせずに、低いところ低いところと、自らを一番低いところにおこうとしているのです。衆人の悪(にく)むところとは、人々の嫌がるところ、つまり低い地位ということです。そうした水の姿は、実に道に近い、神のみ心に近いというのであります。
そこで、そのような水の心で人間がこの世に処していったら、どのような行ないとなってゆくか、ということが、次の節に述べられているのです。


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