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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 小説 阿難(あなん)

後記
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私が釈迦の十大弟子の一人で多聞(秀才)といわれた阿難を書こうと思い立ったのは終戦直後であった。二、三枚書きはじめた頃から、烈しい霊修業が始ってしまって、そのままになってしまっていた。それが「白光(びゃっこう)」(白光真宏会の機関誌)の発刊と共に、法話風のものの他に、どうしても読物的な法話を載せることがよいと私も編集者も同時に考えたので、最初に「天と地をつなぐ者」を載せ、それが終ってすぐに阿難に手を初(そ)めて、いつの間にか三年余経ってしまったのだ。
手をつけはじめたが、毎号四十枚もの原稿なので、余程歴史的材料が無いと書けないのだが、私はそれこそ専門家から見たら無鉄砲とも思える程の無材料で書きはじめたのである。尤もその間編集の高橋君が種々と図書館廻わりして適切な材料をもって来てはくれたが、これとて歴史小説家から見れば、ほんの微々たるもので、材料という程のものではない。そこで私は殆んど霊感にたよってその歴史的事実を書いていったのだが、その道の専門家から見れば、歴史的事実に反することも沢山あるであろう。しかし私は私の阿難を書き出した目的からみれば枝葉に過ぎないので、ご勘弁を願うことにひとりぎめしてしまった。そのため私は、わざと創作と銘うって書いたのであった。
第一部の孫陀利(そんだり)という姫でも、阿育王という王の名でも、仏伝(ぶつでん)には有名な別人がいるので、こんな名を出しては損なのであるが、どうしても霊感ではこの名をつかうことをすすめるので、後で専門家に何かいわれそうなのを知っていてこの名にしたのだ。
一番問題なのは、阿難の思想上のことで、私は阿難が他力の最初の人であることを強調して書いてあることで、阿難と親鷺とに非常に共通なものがあることを私は書きながら感じていた。霊覚では共通なのが当然である理由がわかっていた。
とも角私の阿難を書いた目的は仏教を他力的に信と行とが別々にならぬようにと人々に薦めたいためであったし、師を鑽仰する阿難の純真さを主軸にして、婆羅門(ばらもん)宗教の難行外道と仏教の易行道の面とを比較し、仏教は本来易行道の真の道なのであることを強調したかったのであった。仏教を哲学的にのみ解して、実際生活面に活用できなかった弊害を、この書を読まれて打破して下さったら、私の最もなる喜びである。
(著者)


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