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白光真宏会 出版本部



立ち読み - 神と人間

四、 守護神(しゅごじん)、守護霊(しゅごれい)について
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前章において人間本来神性であることを説明したが、現実として一番問題になるのは、人間ははたして業の輪廻(りんね)を越え得るか、越えるためにいったいどうしたらよいのか、ということなのである。
本来性でないといっても一度(ひとたび)生まれた業因(ごういん)は、縁となり果となり、また因(いん)を創り縁と結び果となって、はてしなく転回して、この現象は業生の世界と成り終わせているように見える。確(たし)かに分霊が肉体の因縁の中に閉じこめられた現在、各分霊だけの力でこの因縁を越えることはなかなか容易なことではない、というより不可能に近いことを思わせる。何故ならば、一度発した念(おもい)は必ず、その出発点に還(かえ)る法則となっていて、この発した念即ち業因は還って果となり、因果(いんが)の波は時を経るにつれてしだいにその層を厚くし、分霊の肉体我を牢固(ろうこ)としてぬくべからざるものにしていったからである。肉体我は粗(あら)い波動の波が起している自我であり、肉体という物質によって、自己と他とを区別しているものであって、まず各自が己れを守ろうとする意識を起こすため、どうしてもお互いの利に反することが起こると、その利を守るために争わざるを得なくなる。ましてこの分霊が陰陽に分裂して男女となり、肉体人口が増えるにつれて、肉体我は自己と自己の一族のみを守ろうとし、いよいよ業因を深めてゆき、この業因の隙間から神の光が差しこまぬ以上、人間は本来の神性に目覚め得ぬような状態になっていった。
この時、神(直霊)はこれを知って、分霊の救いのために新たなる光を放射した。これを守護神と呼ぶ。この守護神の光によって、最初に幽界、肉体界を創った分霊は救われ、各子孫の守護の任についた。これを守護霊(支配霊・コントロールともいう)と呼んだ。この守護霊の中には正守護霊と副守護霊とが定められた。
守護神は常に多くの守護霊の上にあって、守護霊に力を添えていた。各正守護霊はしだいに一人の肉体人間に専属し、その主運を指導してゆくようになり、副守護霊は、おおむね、仕事についての指導を受け持つようになっていった。直感とか、インスピレーションとかいうのは、これら守護霊からくる指導の念(ねん)である。これは普通は自然的行動のように行われ、何気なくある家を尋ねたら、よいことがあった、とか、ふと左に歩を運んだとたんに車がすれ違って、危うく難を除(のが)れた、とか、というように日常茶飯事の何気ない行為として守護している場合が多い。
このような組織状態が現代までつづいているのである。人間とは一般の人びとが思っているような肉体だけのものではなく、このように複雑な組織をもつ者なのである。ここで私は肉体の生死について述べてみたいと思う。
“人は死んだらどうなる?” “生まれる前にはいったいどこにいたのか?”
この二問題は今まで述べてきたことによって、大体わかっていただけるとは思うが、さらにくわしく具体的に述べたほうが、因縁因果を越えて、神性を顕現する道に近づきやすいと思うので述べることにする。
現代人の大半は、死んでしまえばそれまでである、と肉体消滅によって人間の生活は終了する、と思いこんでいる。この考えほど、人間の神性を隠蔽(いんぺい)するものはないのである。


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